『某月某日〔仕事に明け仕事に昏れる〕』
内容紹介
仕事に明け仕事に昏れる毎日で、某月某日と書くほどの変わったことはない、と打ち明ける短い随筆です。家族とも離れ、昼食の外出のほかは新聞もラジオも見聞きせず、朝二時に起きて午後八時に寝る暮らしを、刑務所に入っているようなものだと言います。ところが書き連ねるうちにそのつまらなさに気づき、自分に「舵輪を廻せ」と号令をかけます。初出は『小説新潮』1958年(昭和33年)10月です。
書籍
本文
仕事に明け仕事に昏れるという生活で、あまり人とも会わず、会うのは殆んどが仕事に関する人だけで、家族とも離れているから、特に「某月某日」というような変ったことはない。まるで刑務所へ入っているようなもので、昼めしを食べに外出するほかは、新聞も見ずラジオも聞かず、読むか書くかするほかにはなにごとも起こらないのである。どうにもしょうがない、過去のことなら話題は少ないほうではないが、いま過去のことなどを言ってみたところで面白くもない。なにしろ仕事をするか、仕事に関係のあること以外には、興味もなしかかわりたくもないのだから、われながらその貧乏性に呆れるだけである。どうしようもない。朝二時に起きる、なんということを言ったところで仰天する人はあるまいし、朝めしは自炊で食べるとか、午後八時には寝てしまうなどと言ってみても、「ああそうか」と言われればそれまでのことで、事実またそれだけのことにすぎないのである。しょうない。ときたま東京へゆくとたいてい沈没してしまい、「足が出る」どころか、両手両足に首まで出してしまって必らずどこかの社に迷惑をかける、などということは言いたくないし、聞くほうだって面白くはないでしょう。――ここまで書いて来たら、むらむらとよからぬ考えがうかんできた。こんなことはよくない、こういうふうに字に書いてみると、じつにつまらないなっちゃない生活である、少なくともこの航路から十五度は舵をそらさなければならない。私はいま自分に号令をかける、「舵輪を廻せ」
底本:「暗がりの弁当」河出文庫、河出書房新社
2018(平成30)年6月20日初版発行
底本の親本:「雨のみちのく・独居のたのしみ」新潮文庫、新潮社
1984(昭和59)年12月20日発行
初出:「小説新潮」
1958(昭和33)年10月
※〔〕付きの副題は、作品の冒頭をとって、ファイル作成時に加えたものです。
入力:特定非営利活動法人はるかぜ
校正:noriko saito
2025年12月3日作成
本文は青空文庫の公開ファイルを使用しています。



