『鶴は帰りぬ』

鶴は帰りぬ 山本周五郎

あらすじ

1. 宿場町での出会い
飛脚屋「島十」に所属する飛脚の実(じつ)は、ある宿場町の宿屋「相田屋」に常宿を持っていた。彼がそこへ宿泊するたびに世話をしていたのが、控えめで物静かな女中のおとわである。

無愛想で口数の少ないおとわだったが、その奥には素直で純粋な心があり、やがて実は彼女に強く惹かれていく。一方、おとわもまた、実の誠実な性格に安心感を覚えるようになる。

ある夜、酒に酔った実が勢いでおとわを抱こうとする。しかし、おとわは何も言わずにただ震えるばかりで、「おっかさん……」と母を呼ぶ声を漏らした。その姿に実は酔いが冷め、それ以上手を出せずに引き下がる。この出来事をきっかけに、実はおとわを「守りたい存在」として意識するようになった。

2. 深まる想いと約束
その後も実は宿に泊まるたびにおとわの世話を受け、二人の距離は少しずつ縮まっていく。特に、人気芸妓のおせきが二人の関係をからかいながらも温かく見守っていた。

ある日、実はおとわに「来年の秋には独立して店を持つ。そのときに嫁に来てくれないか」と申し出る。おとわは驚きながらも「ええ」と答え、二人は将来を誓い合った。

しかし、おとわには家族の問題があった。彼女の父はすでに亡くなっており、母や妹、弟たちは貧しく、庄屋の世話を受けながらなんとか生計を立てていた。庄屋はおとわを後妻に迎えたいと申し出ており、それを断ることは家族の生活を危うくすることを意味していた。

それでもおとわは「自分はひとりぼっちで、親兄弟はいない」と実に告げ、彼と一緒になる決意を固める。

3. すれ違いと苦悩
しばらくして、実は偶然おとわの家の事情を知ることになる。おとわが「親兄弟はいない」と言ったのは嘘であり、彼女は庄屋の家に住む母や妹、弟たちを養うために働いていることが分かった。

「なぜ嘘をついたのか」と実は混乱し、彼女の本心が分からなくなる。おとわは「あなたと一緒になれるなら、親兄弟を捨ててもいいと思った」と訴えるが、実は彼女の本心を信じられず、次第に距離を置くようになる。

その後、飛脚仲間の友次郎から「お前も女に騙された口か」と皮肉を言われたり、宿の客が「女中のような地味な女こそ、いざという時に脆いものだ」とおとわについて下品な噂話をしているのを聞いたりして、実の心はさらに揺れ動く。

やがて、実は宿場町を通るたびに「相田屋」に泊まらず、わざと別の宿を選ぶようになった。そうして、おとわとの関係を自然消滅させようとしたのである。

4. 再会と別れ
それから40日ほどが過ぎた頃、ある夜、おせきが突然実のもとを訪れる。彼女は「おとわが庄屋の家に後妻として入ることが決まった」と告げ、「最後にもう一度会ってやってほしい」と頼む。

翌朝、約束の場所である「高岩弁天」の境内に実が行くと、おとわが現れる。彼女は微笑みながら「さようなら」と告げると、「私はもう親兄弟を背負って生きることを決めた。あの時の気持ちに嘘はなかったけれど、今はもう戻れない」と話す。

実は「金の問題なら、俺が何とかする」と申し出るが、おとわは「もう気持ちが変わってしまったの」とやんわり断る。そして、「ただ誤解されたままでは辛かったから、会いに来た」と静かに言うと、そのまま去って行った。

実は何も言えず、ただその背中を見送ることしかできなかった。

5. 未来への決断
おとわは宿へ戻ると、涙を流して泣いた。彼女はこれまで決して涙を見せたことがなかったが、この時ばかりは耐えきれず、おせきの前で嗚咽する。

そんな彼女を見て、おせきは「実さんのもとへ行け」と背中を押すが、おとわは「もう遅いんです」と涙を拭い、庄屋の家へ向かう準備を始める。

一方、実は針箱を担いで次の宿場町へと向かっていく。その途中で、かつておとわと一緒に語り合った**「赤まんま(イヌタデの花)」**のことを思い出しながら、遠ざかる宿場町を振り返ることもなく歩き続けた。

物語のテーマと余韻
『鶴は帰りぬ』は、愛し合いながらも、現実によって引き裂かれる男女の悲恋を描いた作品です。

実は愛する女性を守りたいと願いながらも、おとわの嘘に傷つき、信じきることができませんでした。一方、おとわも実を愛しながらも、家族のために庄屋の後妻という現実を受け入れざるを得ませんでした。

おとわは最後まで涙を見せず、毅然とした態度を貫きましたが、彼女の「さようなら」の一言には、計り知れない悲しみが込められています。

実は「鶴が帰ったかもしれないが……」と自分に言い聞かせるものの、それを否定するように首を振ります。この言葉は、**「鶴は帰らなかった」=「おとわは戻ってこなかった」**という、彼の失恋と後悔を象徴しています。

愛する者を失う悲しみと、それを受け入れるしかない現実。切ない余韻を残しながら、物語は幕を閉じます。

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