『羅刹』

あらすじ
面作り師・宇三郎は、師匠である井関親信の跡目を継ぎ、恋人お留伊と添い遂げるために、比べ打ちで最高の面を作ることを誓う。その題材は「羅刹(らせつ)」――恐ろしい鬼神の顔。しかし、どれだけ掘り進めても、魂の底から震え上がるような真の鬼の相を生み出すことができない。
そんな折、宇三郎は戦乱の世を支配する織田信長こそが「生きた羅刹」だと噂を耳にする。信長の顔を見れば、本物の羅刹の形相を掴めるかもしれない――そう考えた彼は、信長がいる安土へ向かう。しかし、その矢先に本能寺の変が勃発する。
燃え盛る炎の中で、宇三郎は信長の最期の姿を目撃する。そこには、冷酷非道な暴君としての傲慢さと、滅びゆく者の激情が入り混じった、まさに「羅刹」と呼ぶにふさわしい形相があった。宇三郎は必死にその顔を心に焼き付けようとするが、それは炎に包まれ、一瞬のうちに消えてしまう。
帰郷した宇三郎は、己の全身全霊を込め、羅刹の面を完成させる。そして比べ打ちの場で、彼の作品は最高の評価を受ける。しかし、舞台に上がった面を見た瞬間、彼は愕然とする。それは信長の顔そのものだった。芸術であるはずの仮面が、特定の人物の表情をそのまま写し取ることは許されない。彼は自らの手でその面を打ち砕き、「これは芸術ではなく、邪悪な面だ」と告げる。
その覚悟と境地を見た師・親信は、宇三郎を真の面作り師と認め、正式に跡目を継がせる。こうして宇三郎は、欲や名声ではなく、ただ己の信じる芸術のために生きることを決意し、新たな道を歩み始めるのだった。