『古い樫木』

あらすじ
江戸時代、広島藩主・福島正則は、50万石の大名として権勢を誇っていた。しかし、彼の心は年々虚しさを募らせていた。
ある日、正則の屋敷内の庭にある古い樫の木の下で、若い男女が密会しているのを家臣が発見する。男は富井主馬(とみい しゅめ)という扈従組の若侍、女は表使いの女中であった。彼らは人目を忍びながら愛を育み、将来を誓い合っていた。しかし、正則に呼び出された主馬は、「私たちは不義ではありません。誓い合った仲であり、決して恥ずべき関係ではない」と毅然と訴える。その態度が気に入らなかった正則は、2人を狭い牢に閉じ込め、「互いに話さず、顔を合わせずに5日間過ごせ」と命じる。
一方、正則は近頃、庭に立つ一本の枯れかけた樫の木に心を寄せていた。樹齢800年以上といわれるその古木は、長い年月を生き抜き、いまは白骨のような姿になっている。それでも堂々と立ち続ける樫の木の姿に、正則は自らの人生を重ねていた。
「人間の生きる意味とは何か?」
戦国の世を駆け抜け、数々の戦で名を上げた正則。しかし、時代が変わり、天下はすでに徳川の手にある。戦で築き上げたものは、果たして意味があったのか。彼は、かつて信じていた価値観が揺らぎ始めるのを感じていた。
やがて、牢に閉じ込められた主馬と女中は、厳しい環境の中でも互いを思い合い、純粋な愛を育み続ける。彼らは過去の思い出を語り合いながら、「巡り会えただけで、私たちは幸せだった」とささやく。その姿を目の当たりにした正則は、次第に心を動かされていく。
そんな折、幕府の上使として鳥居忠政(とりい ただまさ)が広島へ赴き、正則に対し「領地没収(改易)」の沙汰を言い渡す。かつての豊臣恩顧の大名たちが、徳川幕府により次々と粛清される中、ついに正則もその運命を迎えたのだった。50万石の広大な領地を奪われ、彼はわずか津軽2,000石へと流されることとなる。
絶望する正則は、「もはや生きる意味はない」と妻の夫人(牧野忠成の妹)や側室の保乃(ほの)に「共に死んでくれ」と告げる。しかし、夫人は毅然と言い放つ。
「樫の木のように、堂々と最後まで生きてください」
その言葉を受けた正則は、静かに死を決意するのではなく、己の生き方を全うしようと決心する。
彼は、主馬と女中を呼び、「お前たちは自由だ」と告げる。しかし、主馬は「どこまでも殿にお供します」と訴える。正則はそれを許さず、2人の将来を願って送り出す。
そして迎えた出立の朝──
正則は、最後に庭の古い樫の木を自らの手で切り倒す。
「俺も裸に剥かれた。50万石の大名でもなく、ただの桶屋の市松に戻るだけだ」
そう言いながら、力強く斧を振り下ろす。
すべてを失ったはずの正則の顔には、どこか晴れやかな表情が浮かんでいた。彼は最後まで自らの誇りを貫き、堂々と津軽へと旅立っていった──。