『菊月夜』

「菊月夜」山本周五郎

あらすじ

佐垣信三郎は鶴岡藩の八百石の郡代の次男で、幕府の法制研究のため江戸にいたが、急遽帰藩することとなる。帰国後、彼のもとに重臣・疋田家の娘・絢子が手作りの菓子を贈ったことを知り、やがて疋田家との縁談が持ち上がる。しかし、信三郎にはかつて婚約していた松谷小房という女性がいた。小房の父・松谷権太夫は藩政改革を志し、権勢を誇る高力忠左衛門を討とうとしたが失敗し、発狂したとされて討ち果たされていた。松谷家は追放され、小房も行方不明となっていた。

そんな中、信三郎は藩政改革の中心人物である安倍孫太夫から、藩の癌である高力忠左衛門を排除するため、疋田家へ婿入りし、大目付として政治の監察を担うよう求められる。信三郎は藩のために自らを捨てる決意をし、絢子と婚姻を結ぶ。しかし、結婚初夜に絢子は「心からの夫婦になるのは、すべてが終わった後にしましょう」と告げる。彼女は信三郎が小房を忘れられないことを察し、また自らの結婚が政治的なものであることを理解していた。

信三郎は大目付として高力忠左衛門の罪状を探るが、証拠は巧妙に隠されていた。ある日、彼は牢獄で狂人として収監されている女性が、古い俗歌を口ずさんでいるのを耳にする。その歌詞の違和感から彼女に接触すると、それが小房であることが判明。彼女は父の志を継ぎ、忠左衛門を討とうとして失敗し、狂人を装って生き延びていた。小房が密かに持っていた「斬奸状」の写しと、信三郎が集めた証拠をもとに、ついに高力忠左衛門は切腹を命じられる。

忠左衛門の処刑後、信三郎は小房に対し、介錯の役を務めるよう提案するが、小房は「父は私怨で死んだのではない」としてそれを辞退する。そして、藩の未来のために信三郎と絢子が真の夫婦となるよう願い、彼女自身は仏門に入ることを決意する。数日後、信三郎のもとに小房からの手紙が届き、彼女の旅立ちを告げるとともに、二人の結婚を祝福していた。その手紙には「心おきなくゆく道や菊月夜」と詠まれた短冊が添えられていた。信三郎と絢子はその思いを胸に、あらためて夫婦の盃を交わすのだった。

本作は、藩政改革を背景に、武士の誇りと責務、そして運命に翻弄される男女の哀切な別れを描いた作品である。正義と忠義、そして深い愛情と犠牲の物語が、静かに胸を打つ時代小説である。

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本文

「珍しい到来物があったのでね。茶をれてきましたよ」
若いはしたに茶道具を持たせて、そういいながらはいって来た母親のようすを見たとき、信三郎しんざぶろうはすぐになにかはなしが出るなと思った。珍しい菓子というのは砂糖漬けの杏子あんずだった。「あなたがお帰りだというので、疋田ひきたさまから届けてくだすったんですよ、絢子あやこどののお手作りだそうです、召上ってごらんなさい」
「珍重なものでございますね」信三郎は、いわれるままに摘んでみた。しんなりとした歯ごたえの下から強い杏子の香が匂い、酸味と甘さの溶け合った、密度のこまかい味が舌の根までひろがってゆく、まさしく珍重というべきであるが、武家の質素な生活に慣れている者には、うまい、と思うよりさきに、贅沢ぜいたくだという感じのほうがつよくくる。――こういう味にれてはいけない、理屈でなく、そういう警戒をすぐに感ずるのだ。信三郎は一つ摘んだだけで壺の蓋をした。
「もっと召上れ……」
「いえもうけっこうです、茶をいただきましょう」
「あなたへといってくださったのだから召上がればよいのに、ではここへ置いておきますからね……」
「疋田どのがわたくしへというのですか」
彼は不審そうに母を見た。疋田はこの鶴岡藩酒井さかい家の重職のいえがらである。こちらは八百石の郡代で身分も違うし、これまで物を贈答するほど親しかったとはかつて聞いたことがなかった。それでも父の佐垣藤左衛門さがきとうざえもんは郡代だし、兄の市九郎いちくろうは書院番にあがっているから、どちらかへ贈り物ならまだしもわかる。けれども信三郎は二十三歳になるが部屋住であり、しかも幕府の法制を勉強するため江戸邸に四年いて、つい四五日まえに帰藩したばかりだった。重職の家から、息女てづくりの菓子を名ざしで贈られるなどとは、考えも及ばぬことだったのである。
「……ええ」母親はなぜかまぶしそうに眼叩きをしながらうなずいた。「この頃は絢子どのも、ときどきここへおみえになりますよ、老職のご息女とは思えないおしとやかな気質で、眉つきお眼もとのそれはお美しいかたです……」
「ご馳走さまでした」信三郎は茶碗を置いた。「少し書き物がございますから……」話題が見当のつかぬほうへ外れてゆくので、彼はそういいながら机のほうへ向き直ってしまった。
数日して仕事の予備報告をするために、彼は奉行役所へ出頭した。四年かかったけれど、幕府の法制の研究は完成したわけではない。もう二年ばかり延期を願うつもりでいたところを、急に国許くにもとから呼び戻されて帰ったのだった。それゆえ彼は、予備報告をしたらそれを機会に、また研究継続を願い出る考えだったのである。……奉行役所支配は安倍孫太夫あべまごだゆうだった。提出した調書は受け取ったが、継続の願いは「いずれお上へ伺ったうえで」というだけで、あまり期待のできそうもないようすだった。
「本調書はできしだい呈上いたしますが、完全なものとは申上げ兼ねますので、ぜひもうしばらく継続させていただけますよう、あらかじめお願い申しておきます」信三郎は、くどいと思いながらそう念を押して役所を出た。すると二の丸の桝形ますがたのところで、父の藤左衛門と会った。父も役所から退出したのだそうでいっしょに下城したが、大手のつじまで来るとふと思いついたように、
「……ちょうどよい、おひきあわせしておくから同道しろ」そう云って道を少し戻り、疋田兵庫助ひょうごのすけの屋敷へはいっていった。うむを云うひまはなかった。――いったいどういうお考えなのだろう、信三郎には父の気持がわからなかった。なんのための訪問かも解しかねて、客間へとおされてからも心がおちつかず、ひどく手持ちぶさたに坐っていた。……兵庫助は病弱らしい痩身そうしんで、まだそれほどの年齢でもないのに、びんのあたりは白いものを交えていた。
「これが信三郎と申す、二男でございます……」藤左衛門がそういって紹介すると、兵庫助はしけじけとこちらを見て微笑した。江戸の話を所望されたが、四年のあいだ御城と屋敷とを往復したばかりでまったく見物あるきなどをしていないため、これという話題もなく話は一向にはずまなかった。そのあいだにひとりの美しく着飾った娘が、しずかに茶菓の接待をした。母親にでも似たのであろうか、まる顔の血色のいい頬につつましく笑窪えくぼが浮いて、俯眼にしたながい睫毛まつげの下から眩しそうな、いかにもはじらいを含んだ眸子ひとみのぞいていた、――これが絢子というむすめだな、信三郎はすぐにそう気づいた。そして贈られた菓子と、今日の訪問とのあいだに、彼には内密でひとすじの糸がつながれているということを、そのときはじめておぼろげに察したのであった。

疋田家の婿にというはなしが出たのは、それから五日めのことだった。きりだしたのは母親である。信三郎はむしろ微笑しながら母の眼を見まもった。
「……けれど松谷まつたにのほうはどうなるのですか、松谷とまえに約束があると覚えていますが」
「あなたは、松谷がどうなったかご存じないのですか……」
「あらましは江戸でうわさを聞きました、権太夫ごんだゆうどのが狂死して、ご家族は追放になったと、それだけは聞いています」
「それをご承知なら、もうあの約束のことは心配なさらなくとも……」
「いやそれは違いますよ」信三郎はしずかに頭を振った。「たとえ権太夫殿が狂死し遺族がご追放になったとしても、小房こふさどのとわたくしとの約束は四年まえからのことで、それとは関係がないと思います」
「それは、そのとおりです……」母親はしずかに頷いた。「武士と武士との約束でもあり、小房どのに罪があったわけではないのですから、……お父上もわたくしもそのつもりで、ご追放と聞いたときすぐ小房どのをこちらへお引取り申すつもりでした、けれどそれがだめだったのです」
おなじ家中で納戸奉行を勤めていた松谷権太夫には、男子がなく、小房という娘がひとりいた。すぐれて美貌だというほどではなかったが、魅力のある顔だちと怜悧れいりな気質とでなかなか評判が高かった。四年まえ、信三郎が江戸へ出ることにきまるとすぐ、小房とのあいだに縁談がまとまり、彼の任務が終って帰藩したあかつきには入婿するという約束ができたのである。……ところが去年の春のはじめだった。権太夫は城中でとつぜん発狂し、抜刀して奥殿へ踏みこもうとした。おどろいて制止しようとする小姓組の者をも二人ばかり傷つけたうえ、なお暴れるのでやむなくとり詰めて討ち果してしまった。重臣の高力忠左衛門こうりきちゅうざえもんは、ただちに老職評定をひらき、即決で『死体とり捨て』『遺族放逐』という処分をきめた。そのとき藩主の酒井忠義ただよしはまだ幼少で江戸屋敷にいたから、いちおう御裁可を待つべきではないかという者もあったが、高力忠左衛門が即決を主張してやまぬため、処分はその場できめられてしまった。……忠左衛門は先代摂津守忠当せっつのかみただとう寵臣ちょうしんで、現在なお権勢ならぶ者なき位置にあったし、また藩法にも、――城中で抜刀狼藉ろうぜきした場合は重科、家族は放逐という明らかなおきてがあるので、誰にも即決に反対することはできなかったのである。
「……御裁決を聞くとすぐ」と母親はいたましげに続けた。「お父上が松谷どのへ使をおやりになったのです。けれどもそのときもう家はすっかり片付いていて、小房どの親子はいずれかへたち退いたあとでした」
「…………」
「そしてその夜でしたよ、使の者が手紙を届けて来たのですが、――思いがけぬできごとのため婚約も果せぬ始末となった、縁談は無きものにしたいから、そういう文面だったのです」
「こちらに迷惑をかけまいという心遣いですね……」信三郎は暗然と眼を伏せた。「よくわかりました、しかし疋田とのはなしは、少し考えさせて頂きます」
「それはいずれ父上から、改めておはなしがあるでしょうけれど……」
そういって母親は、心のこりそうに立っていった。信三郎はいろいろの感慨に胸をふさがれた、彼は小房に二度しか会っていないが、陶器のようにつやつやとした頬と、こちらを見るときぱちぱちと目叩きする上眼づかいの賢そうな眸子とは、いまでもかなり鮮やかな印象としてのこっている、……あの眸子は、いまどこでなにを見ているだろう、今でもあのように目叩きをするだろうか、不幸はいつも思い設けぬところに起る、ずいぶん身を戒しめ要慎をしていても、それは不意にやってきて人をつかむ、その運命をひき裂いて谷底へとつき墜とす、あの人はどんな気持で不幸に堪えようとしているだろう、その力があるだろうか。信三郎はできることなら探し求めて会い、心から慰め励ましてやりたいという衝動をするどく感ずるのだった。
父からはなしのあるまえに、重臣のひとり安倍孫太夫に招かれた。孫太夫は重臣のいえがらであるがまだ三十歳で、二年まえに江戸から国詰となり、奉行役支配の席にいた。屋敷は三ノ曲輪にあったが、そのときは鵜渡川畔の別墅べっしょへ招かれたのである。話は意外にも疋田との縁談だった。
「じつは、拙者が仲人をひきうけているのだ」
信三郎は、いったいこれはどうしたことかと思った。
「わたくしごとき者の縁談に、ご老職までがそのように仰せられる、これにはなにか仔細しさいがあるのでございますか、それとも単純な縁談なのでございますか」
「仔細はある……」孫太夫は坐り直した。

「いま鶴岡藩が、いろいろな意味で大改革をおこなうべき時期に当面していることは、そこもとも知らぬわけではあるまい」孫太夫はそう云いだした、「……これは摂津守さま御代からの懸案であったが、御他界とともに内外の事情が複雑となり、そのうえ権勢をもって政治を私する一味があるため、改革はむしろ改悪のかたちにさえ傾きつつある、このままではいかん、断じてこのままではいかんのだ」
その言葉の意味は、信三郎にもよくわかった。権勢をもって政治を私するというのは、高力忠左衛門をさすのであろう、複雑な事情というのは、家督問題だ。……先代摂津守忠当が死んだあと、老臣の一部には嗣子忠義を廃して、分家の長門守家から養子を入れようという説が出た。そのとき高力忠左衛門が独り忠義家督を主張して養子説を粉砕し去った、禍根はすでにそこにあったのだ。すなわち摂津守の寵臣である高力とその系統を除かなければ、鶴岡藩政の改革はできない状態だった。そのために分家から養子を入れようとしたのであるが、手段が拙劣だったので失敗に帰し、かえって忠左衛門の威望に圧力を加える結果となった。彼は先代の寵臣だったばかりでなく、現主君左衛門太夫さえもんだゆう忠義を擁立した人間として、今や十五万石の政治をがっちり掌握していたのである。
「……こう云えばわかるであろう、当面の問題は高力どの一統を除くことだ。政治改革はそのことが実現したうえでなければ手がつかぬ。まずなによりも高力どのを除くことがさきなのだが、これは非常に困難なことであり、うっかりすると御家督問題の失敗を繰返すことになる」
「……しかしその困難というのは、どういう点なのですか」
「高力どの一統の罪条が明白でない、とりあげれば箇条はいくらもあるが、決定的な条件となるものはなく、明敏な高力どのの弁舌にかかればみな申開きが立つであろう、問題はこれこれの罪状があるからというのではなく、高力一統の存在そのものが政治のがんなので、理由のいかんにかかわらぬところに困難があるのだ」
「……してその打開策はあるのですか」
「そこもとが疋田家へ入る、今のところこれが唯一の策だ」
「……仰せの意味がよくわかりません」
「新しい人間が必要なのだ」孫太夫は、力をこめていった、「……高力一統の勢力は、十年ちかい年代を経て、その根は深くかつ広い、現在重臣の席にある者はみな、大なり小なりその勢力の影響をうけている、これでは断乎たる手段をとることはできないのだ、彼らの影響をうけたことのない人間、まったく新しい人間が起って斧をとらなければならぬ、しかも高力どのの犀利さいり明敏をしのぐだけの資質が必要だ、これは申すまでもないだろう」
「…………」信三郎は、じっと相手の眼をみまもった。孫太夫もその眼を見かえしながら、突込んでくるような調子で云った。
「……そこもとの名が出たのは去年の秋だった、佐垣信三郎という名は、すべての者に双手をあげさせたのだ、問題は身分上の資格だ、それには疋田どのが迎えようと申し出た、あとはそこもとの覚悟ひとつでことがきまる、……仔細というのはこれだけだが、そこもとの意見はどうか」
藩政改革がさし迫った課題であることも知っている、そのがんが高力一統の勢力であることも間違いはない、少壮気鋭の者のなかには、――忠左斬るべし、という激論さえあるくらいだ、したがって孫太夫の説くところに疑問はないが、はたして衆望を担って起つちからが、自分にあるや否やは重大な問題である。
しかし彼がその点を反省するよりまえに、孫太夫がずばりと切りこんだ。
「……そこもとにも思案はあろう、だがことは早きを要するのだ、藩家のためにおのれを棄ててくれ、まかり違えば死んでもらわねばならぬが、そのときはわれらも生きてはいない、成否は当ってからのことだ、一命を棄てる覚悟でひきうけてくれぬか」
「……明日お返辞を申上げます」信三郎は面をあげて、こう答えた。
彼は、こういうとき兄がいてくれたらと思った。心はきまっていたが、できることなら兄からひとこと助言がほしかった。しかし、兄は江戸詰だし、ことがことだけに親しい友にも語れなかった、――だが助言など頼まぬほうが本当だろう、おれにはおれの能力だけのことしかできない、その能力をだしきってやってみよう、成敗は天のものだ、はじめから一身も名も棄てれば遅疑することはない、よし! 信三郎はそう思いきめ、明くる日孫太夫を訪ねて承知の旨を伝えた。
疋田へ入婿のゆるしが江戸から来たのは六月はじめのことで、その月二十日に婚礼の式があげられた。諸事倹約の布令の出ているときで、客は両家の近い親族に限られ、祝宴もきわめて質素なものだった。そしてさかずきのはじまる頃から、戸外はしずかな雨になっていた。

宴が果て客たちが帰り去って、新婚の寝間へ案内された信三郎は、金屏をめぐらした美しいしとねを前にして、窮地へ追い詰められた者のように息を詰めた、……雪洞ぼんぼりの光をうつした金屏の表にまざまざとうかぶおもかげがある。心ではふり捨てたと信じながら、その部屋の美しく清浄な色彩を前にすると、どうしようもない感情が胸にあふれ、かなしい人の身の上があらためて切なく思いやられるのだった、――みれんな、彼はそう自分を叱りつけ、心を鎮めようとしてじっと雨の音に聞きいった。
したくを直した絢子が、安倍夫人に手をひかれてはいって来た。安倍夫人が新夫婦の未来を祝って去ると、あとは二人だけがしょくを中にして相対した。軒をうつ雨の音の、一つ一つを聞きわけながら、信三郎はしだいに心の苦しさを抑えかねてきた、すると絢子がささやくようなこえで、
「……もうしばらくご辛抱をおねがい申します」そう云った、「家人が寝鎮まりましたら、わたくしあちらへまいりますから……」
信三郎はちょっとその意味を解しかね眼をあげて新妻を見た、美しく化粧をした絢子の顔は紙のように白く、双眼にはいっぱい涙がたまっていた。
「……わたくし、松谷の小房さまとお親しくしておりました」涙のあふれそうな眼で信三郎を見あげながら、絢子は切なげな口ぶりでしずかに云った、「わたくしのような者には、もったいないほどの良いお友達でございました。あのようなご不幸なお身の上になって、この朝夕をどうしていらっしゃるかと思いますと、……わたくし申上げようのない悲しい気持でございます」抑えかねた嗚咽おえつを隠すようにしばらく面に袖を当てていたが、すぐにまた言葉をついだ、「……今宵の祝言をあなたさまがどのようなお気持でご承知なさいましたか、それもおぼろげにはお察し申しております、ご心配くださいますな、わたくしは決して、……決して」
そのあとは、続かなかった。信三郎は、烈しく心をうたれた、ここにも自分を棄てようとする人がいる、乙女の身としていちど祝言の盃を交わせば、もはやその一生は動かすことができない、しかも絢子は初めからまことのめおとになる望みを捨て、信三郎を必要な位置にすすめるためにその盃を執ったのだ。――武士のむすめだ、信三郎はそう思った、しかしそれは彼にとって、二重の苦しみであった。これほどの遠慮をそのまま受けてよいかどうか、けなげな覚悟であるだけに、それをそのまま受け取ることがはたして正しいかどうか、若い彼には新しい重荷が加えられた感じである。しかしむろん今それが重大ではない、重荷が二重になったとしても、まずなすべきことがあるのだ。
「……よくわかりました」信三郎は感謝をこめていった、「なにも申上げずにご厚志を受けましょう、すべてはことが終ったあとに……」
「はい」絢子は堪えがたそうに頭を垂れ両手をついた、華燭の宵をこめて、雨はなおしとしとと降りしきっていた。
月が変ると彼は重臣の列に加わり、大目附の職についた。大目附は格違いであるが、新任の重職として特に兼務を命ぜられたのである。監察権はすでに彼の手にはいった。安倍孫太夫を中軸とする重臣たちの手から、高力系の秕政ひせいの調書がつぎつぎと集ってくる。このあいだに彼自身は大目附の記録を調査し、疑問に当ると年次を十年までさかのぼって克明に検討した。しかしこれらの調べから得たものはほとんど取るに足らなかった。一つ一つを取れば私曲の歴然たるものが、つきつめてゆくと巧みにげみちが備わっている、甲をとらえると乙に繋がり、それがさらに丙へ続いてすべてを消し去ってしまう。どこにも遁げみちがあり、抜け穴が作ってあった。……信三郎は舌を巻いた。人間のすることには必ずどこかに失策を遺すものだ、十年にわたって詳細に検討されれば、いかなる人間も無垢むくではあり得まい、ことに政治にはその時その時の方向と目的があるもので、後から批判して欠くるところなしというものでは決してない、信三郎としては必ず発見するであろう失策の例から、高力政治の真実を掴もうと思ったのであるが、完全に隠蔽いんぺいされた私曲の数々をみて慄然りつぜんとした。それは『奸曲かんきょく』という感じだった、――個々の理由ではなく、その存在することがいかんのだ、孫太夫はそういったが、信三郎にも今こそ、高力除くべしという決意が動かすべからざるものとなった。
ある日彼は、町奉行役所へゆき、裁判記録をとりよせてみずから精査した。疑わしいものは囚人を呼び出して訊問じんもんした。四五日そういうことがあってから、こんどはじかに牢舎ろうしゃを見にゆき、囚人と記録の照合をはじめた。
「……なにかご不審があるのでございますか」
町奉行はかなり狼狽ろうばいしたようすだった。信三郎はさりげなく、
「いや大目附としての心得のためだから……」
そういって照合を続けていった。

牢舎のしらべを終ろうとしているときだった。病囚溜りに一人の異様な人間のいるのをみつけたので、足を停めると、「狂人でござります」という。狂人をどうして牢舎へ入れて置くのか、不審に思って覗いていると、「……御老職の屋敷へ忍び込んで盗賊をはたらこうと致したのです」奉行がそばからそう説明した。……狂人は襤褸ぼろに包まれていた。むぐらのように茫々と乱れた髪の下から、するどく光る野獣のような双眸でじっとこちらを見まもっていたが、とつぜんしゃがれた声で、

※(歌記号、1-3-28)……信夫しのぶの浦を朝ぐ小舟
さし寄せよ
夜こそ訪ひ来ね
君をおきてあだし心を
わがもたばや……。

そう俗歌のひとふしを唄いだした。
「やかましい、しずかにせぬか」奉行がどなりつけるのをしおに、信三郎はそこを離れ、奉行役所へ戻った。彼は『信夫の浦』という俗歌を知っている、それは古調の風俗うたで、佐垣家の老下僕がよく口にしたのを聞き覚えた、しかし狂人の唄ったのとは少し違うのである、――信夫の浦を朝漕ぐ小舟、さし寄せよ、というまではおなじであるが、そのあとは、――我さへ乗りてな、信夫の 信夫の浦を見むや というのだった、『……夜こそ訪ひ来ね』とはまるで聞いたことのない文句である。
その夜八時を過ぎてから、信三郎はなんの前触れもなく牢舎を叩いた。役人は大目附の不意の検察にびっくりしたが、信三郎は「御用の筋による内密の調べだ」といい、病囚溜りへ案内させた。そして「この者に内密の訊問があるから」といって役人を遠ざけ、手燭を取って格子の間近へ寄った。狂人は房の片隅に身をすくめ、おどろな髪の蔭から光る眼でこちらをみつめている。
「……おれは、大目附疋田信三郎と申す者だ」彼は狂人に向ってそう呼びかけた、「今日そのほうの唄った俗歌に、夜こそ訪い来ねという文句があった、なにか申すことでもあれば云うがよい、ここにはおれ一人だぞ」
「…………」狂人はなにか物音でも聞きすますように、しばらくじっと息をひそめていたが、やがてもぞもぞと身を起し、格子のそばへとい寄って来た。そしてあぶらあかで汚れた茫髪をかきわけ、小さな棒状に巻いた物をとり出して、黙って信三郎に渡した。ひらいてみると、『斬奸覚書』という文字がいきなり眼へとびこんできた。そして次に、――高力忠左衛門討果し申候こと私怨しえんにこれ無く……という文字がみえたので、信三郎はあとは読まずに巻き戻してふところへしまった。狂人はじっとこちらを見上げている。
「……そのほうこの書状を何者から預かった」
「……ご本人から預かりました」
そう答える声を聞いて、信三郎はびっくりした。今までの嗄がれ声ではない、かすれてはいるが正しく女だ、女の声なのである、彼は思わず身をかがめた。
「そのほうは誰だ、女だな」
「…………」
「申せ、そのほうは何者だ」そう云いながら手燭をつきつけると、狂人はその光を避けるもののように面を外向けた。信三郎はその横顔を見た、横顔からえりあしへのなめらかな線を見た、彼はあっと息をのんだ。
「……小房どの、あなたか」
「あかりを……」消えいるような声でそういった、――あかりを、醜い姿を恥るのであろう、信三郎は手燭をうしろに置き、そこへ片膝かたひざをついた。
「話してください、人が来るといけません、必要なことだけなるべく手短にいってください」
小房はこちらへ向き直り、面を見られたくないのであろう、深くうなだれたまましずかに語りだした。――松谷権太夫は、発狂したのではなかった。高力系の秕政と私曲を見かねて、城中に忠左衛門を斬ろうとしたのである。少壮気鋭の人々が『忠左討つべし』といっているが、若い者はさきざき御役に立つ人間だ、自分はすでに老年に及んでいるから、忠左を斬って死んでも御奉公に不足はない、そういう覚悟のうえで斬奸状ざんかんじょうしたため、万一の場合に写しをとって小房に与え、後事の指図をして登城したのである、それからの仔細はわからない、けれど失敗して逆に高力系の手にかかり、発狂者として斬られたことは、結果の示すとおりである。小房は母親とともに、身の危険を察していち早く城下をたち退いた。二人は酒田の港の裏町に隠れて時期の来るのを待っていたが、心の痛手と境遇の激変がこたえたものであろう、母親は去年の秋の末に病歿びょうぼつしてしまい、小房はただ独りのよるべなき身となった。……むろんそんなことで心はくじけはしなかったが、藩の情勢が少しも変らず、高力系の手がひそかに自分を捜索していて、いつ彼らに捉るかわからないありさまだったので、ついに意を決し、父に代って忠左衛門を討つべく、身を※(「にんべん+扮のつくり」、第3水準1-14-9)やつして高力邸へ忍び込んだのであった。

「まことにお恥かしゅうございますが、父と同様わたくしも仕損じました、それで狂人を装いまして、命だけはとりとめ、この牢舎につながれていたのでございます」小房はちょっと息をついて云った。
「ここへ押籠おしこめられて半年あまり、もうだめか、もう死のうか、幾たびそう思ったか知れませぬ、けれどもわたくしが死んでは父の志も無になり、母上にもどんなにか無念におぼしめしましょう、いいえ、それより御家の奸をそのままにしておく不忠はのがれられません、……命のつづく限りは生き延びて、よき折のくるのを待つのが道だ、そう存じまして耐え忍んでまいりました、佐垣さま、おわかりくださいますでしょうか」
佐垣という姓が、ぐさと彼の胸を刺した。しかしその痛みを押し隠して、
「よくわかりました。拙者が大目附を拝命したのも、じつは高力どの処分のためなのです。いろいろ聞いて頂くべきこともありますが、くわしいことはいずれ申上げましょう、今宵はこれでおわかれします、間もなくここからお出し申しますから」
「わたくしのことならお捨ておきくださいまし、それより一日も早く高力どのを……」
深くうなだれたままそこまで云うと、小房はすばやく牢の片隅へ身をひそめてしまった。……早く去ってください。この醜い姿を見ないでください、そういう気持がいたましいほどよく感じられる。
「……小房どの、心を堅固に、もうしばらく辛抱していてください、わかりましたか」
信三郎は声をひそめてそう呼びかけ、手燭を取ってしずかにそこを去った。
その翌日彼は小姓組の者を三人、大目附役所へ呼びだして、半刻はんときほど訊問した。彼らは城中で権太夫を討ち果した者たちであるが、高力系の勢力の強大さを信じているとみえ、三人ともむしろ昂然こうぜんと事実を述べた、――とつぜん老職に斬りかかったので、発狂にまちがいなしとみたから討ち止めたのである、彼らはそう云った。
――奥殿へ乱入しようとしたというのは。「ご老職が刃をくぐって奥殿へのがれようとなすったのを、権太夫が追って踏み込もうとしたのでござる」
――権太夫は『斬奸状』を持っていたはずであるが、それはどう始末をしたか。「なにか知らぬが書状ようの物があった、それはご老職が裂き捨てられたと記憶する」
それだけで充分だった。たとえ遺恨の刃傷にしても喧嘩けんかは両成敗である、それを発狂として討ち果し、なお斬奸状を破棄し、即決で重科の処分をした。これだけで充分に切腹の罪は免れない。信三郎は三人の口書をとり、そのまま拘束した。それから孫太夫を訪ねた。そこでひそかに同志の重臣を集め、江戸へ密使を出した。相手が相手だけに水も洩らさぬ手配が必要だったのだ。……こうして周囲の準備がととのったところで、信三郎は牢舎にいる小房を大目附役所へ移し、正面から高力忠左衛門に召出し状をつきつけた。忠左衛門はまだなにも知らなかったようだ。それで召出し状を見てもかくべつ重大には思わず、――病中なれば追て本復のうえ、と答えてきた。思う壺である、――これでよし、信三郎はひそかに会心の笑をもらし、中二日おいて堂々と高力邸へのりこんでいった。
信三郎は半刻ちかく待たされた。そして出て来た忠左衛門は、客を下座に、おのれは悠然と床を背にして坐った。六十に近い年齢とはみえぬ精悍せいかんな肉体をもち、眉の濃い、唇の厚い、意志そのものといった相貌である、生麻の帷子かたびらの着ながしではかまも着けていない、おそらく酒を呑んでいたのだろう、横鬢から額へかけて赤くなっているし、ときどき無遠慮に酒気を吐いた。
「まだ残暑がきついのう」彼は坐るとすぐにそう云った。「なんの用じゃな」
信三郎は黙っていた。
「さきごろ召出しの使がまいったようだが、その用件かな」
「…………」
「どうしたんじゃ、舌でもしびれたか」
じろっとこちらへ眼を向けたとき、信三郎はしずかなこえで、
「高力忠左衛門、座が高いぞ」と云った。忠左衛門はくっと眼を細めた。大きくみひらいたよりも鋭く、蛇のような感じのする眼つきだった。……老人は十年にわたって不動の権勢をにぎり、かつてなにものにも頭を下げたことがない、すべての者が彼の頤使いしに従い、鞠躬きっきゅうとしてその命を待った、ひとたびその眼でねめつけられれば、あえて面をあげ得る者は一人としてなかった、しかし、今、ほとんど見知らぬ青年ともいうべき疋田信三郎、孫にも近い若き大目附が、眼をあげて彼を見据え、姓名を呼び捨てにし『座が高い』と罵ったのだ、彼は怒るよりもむしろ唖然とした、その面上へ信三郎は大喝をあびせたのである。
「上意だ、高力忠左衛門、下におろう」

不動の位置が砂のごとく崩壊する、忠左衛門はその音が聞えるように思った。権力とか威勢とかいうものはひとつの状態であって、本質の価値に因るよりも周囲のつくりあげる場合のほうが多い、高力忠左衛門がながいあいだ不動の権勢をにぎっていたのは、彼自身の実力というよりも、それが許されたる状態だったというべきであろう、その状態の頽れる時がきたのだ。信三郎の一喝は誤りなく的を射て、忠左衛門の確信の均衡をやぶった、――わが前に眼をあげ得る者なし、と信じていた頭上に、痛棒がうちおろされたのである。
老人は立って下座についた、信三郎は上座に直ると、かたちを正して歯切れよくずばずばと云った。
「……去る万治二年春、城中において、松谷権太夫こと斬奸の趣意をもってそのほうに対し刃傷に及びしところ、腹心の者どもを呼び催してこれを討ち果し、権太夫所持の斬奸状をひそかに破棄し、一存をもって老職評定を開き、お上の御沙汰をも待たず即決にて重科に極めたる始末、その身重職にありながら上をはばからず専断私曲の致しかた不届き至極に付き、追て沙汰あるまで謹慎を申付くるものなり」
聞いているうちに、忠左衛門はさっとあおくなった。そして、けんめいに威儼いげんを保ちながら「……その御達しは上意によるか、それとも大目附よりのものか」と反問した。「……いずれにもせよかかる重き御達を口上にて承わる例はない、御達状を拝見しよう」
「そのほう老耄ろうもうしたな忠左衛門」信三郎は冷やかに答えた。「口上にて謹慎を申付くるのは大目附の慈悲だ、やがてお墨付の御達状がまいるであろう、そのときは切腹はまぬかれぬぞ、……さよう心得て後事の始末をしておくがよい」
信三郎は座を立った、忠左衛門は眼でそれを見送ったが、その眸には、早くも窮境打開の道を捜す必死のもがきがあらわれていた。玄関へ出るまで、そこにもここにも家士たちの不安そうな顔がみえ、また脅やかすような姿勢が眼についた、信三郎はそれらの者も一人ひとり眺めながら、しずかに式台へとおりた。
忠左衛門の暗躍は、数日つづいた。江戸へも人をやったようである。しかし要所要所にはすでにくぎを打ちくさびが入れてあった。それが高力系の根を切り糸を断った。つくりあげた状態というものは均衡が破れると崩壊し去る。不動なるべき忠左衛門の頭上に、監察の一撃がうち下ろされたとき、すでに彼を中心とする権勢の座はばらばらになったのだ。高力系に属する者で、早くも寝返りをうとうとするあわただしい動きが始った。信三郎は黙って見ていた、――もがくだけもがいたら、それでとるべき手段に気づくだろう、そう思ったのである。信三郎としては裁決されるまえに自殺してもらいたかったのだ。
江戸から墨付が到着した。忠左衛門は大目附へ召喚され、改めて松谷権太夫始末のことが審問にかけられた。忠左衛門は過去の秕政がとりあげられるだろうと思い、それなら申開きがたつと信じていた、しかし審問は権太夫の件だけで『斬奸状破棄』と『狂人と申しくるめ』たことと『専断に裁決した』という三条が譴責けんせきの的だった。証拠として小房の持っていた斬奸状覚書が呈示され、また小姓組三人の口書があった、――こんなことくらい、と歯牙しがにもかけなかったものが、今や彼の首の根をとって押えたのである。はじめ安倍孫太夫ら同志の重臣たちは、高力系の人物すべてに糾弾を加えようとしたが、信三郎はあくまで忠左衛門一人の処分を主張した、忠左衛門を除けばあとは骨抜きだということがわかっていたからだ、そしてついにその説を押しきったのであった。
評定所において忠左衛門が切腹を命ぜられる日だった。信三郎は大目附役所の一室に引取ってある小房をたずねた。……小房はもう※(「にんべん+扮のつくり」、第3水準1-14-9)した姿ではなかった、疋田の絢子から送られた衣服を着け、髪もくしけずって、あの頃の清楚な小房にかえっていた。
「久しぶりでお眼にかかります」信三郎は相対して坐ると、感動を抑えた声でしずかにそう云った。
「……御一家の御不幸についてはなにも申しますまい、あなたのご健固がせめてもの祝着です、ご苦労だったでしょう」
「ありがとう存じます、あなた様にもこのたびはお骨折りでございました、お望みどおりに納りましたそうで、おめでとう存じます」
「あなたのお蔭です、いや本当です、……ご尊父が忠左衛門を斬ろうとなすった事実、斬奸状の写し、この二つが無かったら手の着けようがありませんでした、ご尊父が死んでくだすったお蔭です、あなたが牢舎の苦しみに耐えてくだすったお蔭です」
「それでは父の死がお役に立ったのでございますか……」小房の眼にふつふつと涙が溢れてきた、
「わたくしのことなどはともかく、父の死がお役に立ったのでございますか、……うれしゅうございます、それで父も瞑目めいもくいたしましょう、信三郎さま、うれしゅうございます」

小房は面をおおってむせびあげた。信三郎はややしばらく泣くままにさせておいたが、やがて、
「……今日これから、評定所において忠左衛門が切腹をします、小房どの、そのおりあなたに介錯の役を勤めてもらいたいのです、表向きには許されませんが、老職がたの諒解りょうかいを得ておきました。どうか支度をしてください」そう云って小房の眼を見た。小房はその言葉を解しかねるように、じっと信三郎の顔を見まもっていたが、ようやく意味を覚ったらしい。
「……ありがとうございますが、それはご辞退を申しとう存じます」と云った。
「どうしておいやだとおっしゃる……」
「おぼしめしはよくわかります、父の恨をひと太刀酬わせてくださる、……ありがとうございますけれど、父は私の怨で死んだのではないと存じますし、わたくしも父の仇という気持はございません、そういう気持をもってはならないと存じます、ご親切はもったいのうございますが、ご辞退を申します」
「……まさしく」信三郎はふかく頷いた。「仰しゃるとおりです、よくそこまでお考えになった、失礼ながらおりっぱだと思います、そこでもう一つお話があるのですが、……」
小房の眼がふと狼狽の色をみせた。信三郎がなにを話しだそうとしているかすぐにわかったのだろう、面を伏せながら慎ましくさえぎるように口を※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)んだ。
「……なんのお話かは存じませぬけれど、できることならまた次に伺いとうございます、今はなにやら心がみだれておりますから」
「そうですか、では高力どの切腹の検分が済んでから改めて申上げることに致しましょう、どうかしばらくお待ちください」
そういって信三郎が立ったとき、小房はふとなにか思いだしたように、
「信三郎さま……」と呼びかけた。彼はふり返った。小房はその顔をじっと熱いまなざしで見まもっていたが、すぐ淋しげに唇で笑い「……いいえ、あとでまたお眼にかかりましたときに……」そう云ってしずかに会釈をした。いかにも淋しげな笑いであり心かれる言葉だった。たとえていえば、秋雨に濡れわたる芒の繁みのなかに、一つだけひっそりと咲く桔梗ききょうの花ででもあるかのような、あわれにかなしい姿だったのである。
忠左衛門切腹の検分が終り、家族国払いの始末が済むと、信三郎はふたたび大目附役所へ戻った。しかし小房はすでにいなかった。下役の者たちもいつどこから出ていったか知る者はなかった。――どうしたのだろう、彼は不審に思い、すぐに屋敷へ帰ってみた、まえに絢子から衣類を贈ったので、その礼にでも寄ってはいないかと思ったのだ。小房は寄ってはいなかった。しかし居間へはいると絢子が一通の手紙を持って来た。
「……小房さまから、ついさきほど、このお手紙が届きました」という、絢子の眼は泣いていた。信三郎は手にとってみたが、自分の宛名ではないので戻し、――そちらで読んでくれ、と云った。絢子はすでにいちど読んだのであるが、ふたたび披いて低く抑えた声つきで読みはじめた。久濶の辞から衣服の礼へと、美しい筆はよどみなく、次のような文章へと続いていた。

「……大目附お役所へ移りましてより間もなく、佐垣さまとあなた様との御縁談をお伺い申しそろ、まことにまたとなき御縁、心からなる御祝着申上げまいらせそろ。世の人の評判とりとめなきは、常ながら、心得がたきことのふと耳に入り候まま、不躾ぶしつけながらひと筆申上げたきことのござそろ。さきごろ佐垣さま御入婿の仔細は、高力どの御譴責のための御身分ごしらえにて、まことは佐垣さまにもあなた様にもめおとの契りはお心になしとやら、ひとつには小房という者へのご遠慮もあることと、ひそかに噂する声の耳につき申しそろ、根なしごととは存じ候えども、万に一つもさようのことの候わばかなしくそろ。かねてあなた様には申上げ候ように、わたくしと佐垣さまとのあいだに縁談のありしことはまことにござそろ、さりながら父の死につぐ一家追放の仰せをこうむりしおり、わたくしがたより縁組のことはきとお断り申し、佐垣さまとわたくしとはまったくかかわりなき身と相なり申しそろ、小房こそ不幸の者よとおぼしめし候や、いないなさようにはござなくそろ、父の死は御主家のお役に相立ち、わが身は父の遺志の果されし始末を見届け申しそろ、武家に生れ人の子と育ちてこれに越すよろこびはこれなく、人もしこの本望に恵まることあれば、一生をささぐるとも悔あるまじく存じそろ、この上になんの望みの候うべきや、ただ僧門に入り、御家の万代と亡き父母の冥福めいふくを祈るこそ身のねがいにござそろ、……ぐちらしくは候えども、お美しき絢さま、お心のすぐれておやさしきあなた様にこそ、佐垣さまとの御縁組は似合わしく存じそろ、絢さまのほかにはいやいや、絢さまなればわたくしもおなじよろこびをもって千秋のおん祝い申上げそろ、くれぐれも申上候、祝言の盃は神明も照覧せさせたまうものにて、かりそめにもたがうことゆるされまじく、小房の心をもおみわけありて、末ながき御栄えのほど祈りあげまいらせそろ……」

自分のゆくえは捜さないようにと、結びの言葉までは読むことができず、絢子は面を掩って噎びあげた。理をつくし情もつくした文章だった。悲しげな文字はどこにもない、りんとした心の美しく澄みきったさまがよく表れているけれども、それが却って二人の胸を刺した。その澄みきった筆つきの裏に、どれほどの苦しさ悲しさが秘めてあることだろう、さりげなく走らせた文字の一つ一つは、おそらく涙で濡れているに違いない、……信三郎はふと面をあげた、すでに黄昏たそがれの深くなった廊下を、しずかに近づいて来る足音が聞えたのだ。見ると若いはしたの一人が白菊の花束を捧げてしずかにそこへ膝をついた。
「申上げます、ただいまどこやらの使いの者が、この花束をお届け申しにまいりました」
「どこからの贈り物だ」信三郎がそういうよりさきに、絢子が立っていって花束を受取った、――使の者は贈り主の名を知らず、ただことづかってきたと云ってたち去ったという。はしたをさがらせて、信三郎と絢子はその花束を見まもった、……雪のように清浄な白菊である、むせるほど香の高い大輪の花の中から、一枚の短冊が出てきた。

心おきなくゆく道や菊月夜

智信ちしん

智信とは小房の名であろうか、
「……あなた」絢子はたまりかねたように、思わずあなたと呼び双手で顔を押えた。
「この人の心をあだにしては済まぬ」信三郎は妻の嗚咽おえつを聞きながら云った、「……絢子、あらためて盃をしよう、この花の主のためにも、それが正しい道だとは思わないか」
「はい……」絢子は涙で濡れた眼をあげた。二人はしかと顔を見合わせた、そのとき庭のあたりで誰かの低い声が聞えた。
――おお月が出た。