『日本婦道記 風鈴』

日本婦道記 風鈴 山本周五郎

あらすじ

山本周五郎の『日本婦道記 風鈴』は、江戸時代の武家社会を背景に、一人の女性が家族と社会の期待との間で揺れ動く姿を描いた物語です。

主人公の弥生は、夫である三右衛門と息子の与一郎と共に質素ながらも穏やかな日々を送っています。しかし、彼女の妹たち、小松と津留は、より裕福な家に嫁ぎ、華やかな生活を送っており、その差異に弥生は心を痛めます。

物語は、妹たちが弥生の家を訪れる場面から始まります。彼女たちは、風鈴がまだ吊るされているかどうかを賭け、勝利を喜びます。この風鈴は、弥生の家の象徴であり、彼女の心の安定を保つ存在です。

しかし、妹たちは、弥生に対して、彼女の生活が単調で色彩に乏しいと指摘し、変化を求めます。特に小松は、弥生に対して、もっと自分のために生きるべきだと訴えます。

弥生は、妹たちの言葉に心を動かされ、家の中の調度品を変えたり、化粧をしたりと、自分を変えようと試みます。しかし、それは一時的なものに過ぎず、やがて彼女は再び日常の繰り返しに戻ります。夫の三右衛門は、彼女の試みを認めつつも、平凡な生活が最も良いと説きます。

ある日、弥生の家に勘定奉行の岡田庄兵衛が訪れ、三右衛門に奉行所への転任を勧めます。これは、妹たちが裏で手を回し、三右衛門の出世を望んでいたことが発端でした。

しかし、三右衛門は、現在の役職が自分に合っているとして、転任を断ります。彼は、人間の欲望には限りがなく、出世や富貴だけが生き甲斐ではないと語ります。

三右衛門の言葉に触れた弥生は、自分の生き甲斐を見つめ直します。彼女は、家族にとってかけがえのない存在になることが、真の生き甲斐であると悟ります。そして、妹たちが外した風鈴を再び吊るすことで、自分の立ち位置を確かめ、新たな決意を固めます。

『日本婦道記 風鈴』は、女性が自分の役割と幸せを見つめ直す過程を丁寧に描き出しています。弥生の内面の葛藤と成長が、読者に深い共感を呼び起こします。山本周五郎は、当時の社会の枠組みの中で生きる女性の姿を通じて、人生の意義とは何かを問いかけています。

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本文

妹たちが来たとき弥生やよいはちょうど独りだった。良人おっと三右衛門さんえもんはまだお城から下らないし、与一郎も稽古所から帰っていなかった。二人を自分の部屋へみちびいた弥生は縫いかけていた物を片つけ、縁側に面した障子をあけた。妹たちがきっと庭を見るだろうと思ったので、けれども妹たちはなにやら浮き浮きしていて、姉のこころづかいなとまるで眼にいらぬようすだった。
「きょうはお姉さまにご謀反をおすすめしにまいりました」
そう云いながら部屋へはいって来た小松は、そのままつかつかと西側の小窓のそばへゆき、明り障子をあけて、
「そらわたくしの勝ですよ」
とうしろから来る津留つるにふり返った、
「このとおり風鈴はちゃんと此処ここにかかってございます」
「まあほんとうね、あきれたこと」
津留は中の姉の背へかぶさるようにした、
「わたくしもうとうに無いものとばかり思っていました、それではなにもかも元のままですのね」
「なにを感心しておいでなの」
弥生は二人の席を設けながらいた、
「その風鈴がどうしたんですか」
「津留さんとけをしたんですの、風鈴がまだ此処にってあるかどうかって」
「おかげでわたくし青貝のくしを一枚そん致しました」
くやしいことと云いながら、津留はつと手を伸ばし、ひさしに吊ってある青銅の古雅な風鈴をはずして、そのまま窓框まどがまちに腰をかけた。小松は妹の手からすぐにその風鈴をとりあげ、なんの積りもなく両手でもてあそびながら、ここへ来る途中からの続きらしい妹との会話をつづけた。
「……そうなのよ、なにもかも昔どおりなの、このお部屋にある箪笥たんすもお鏡台も、お机もお文筥ふばこもお火桶ひおけも、昔のままの物が昔のままの場所にきちんと据えられて一寸も動かされない、そういう感じなんです」
「いったいお姉さまはそういうご性分なのね、それともう一つそう思うのだけれども、このお家には色彩というものが少ないのよ、武家だからという以上に、わたくしたちの髪かたちにしろ衣装にしろ、お部屋の調度にしろみんなじみなものくすんだ物ばかりで、娘らしい華やかさ、眼をたのしませるような色どりはまるで無かったのですもの」
「それはつまり若さが無かったことなのよ」
小松は風鈴をりりりりと鳴らしながらそう云った、
「わたくしがそう気づいたのは百樹ももきへとついで、あちらの義妹たちの日常を見てからだけれど、世間の娘たちがどういう暮しぶりをしているかということを知って、おどろくことが少なくありませんでしたよ」
「それは百樹さまとこの家ではお扶持ふちが違いますもの、ねえお姉さま」
「そうではないの」
小松はうち消すようにさえぎった、
「わたくし贅沢ぜいたく華奢かしゃを云うのではないのよ、一生のうちのむすめ時代というもの、そのとし頃だけに許される若さをいうんです、そしてこれはなかなか大切なことなんです、なぜかというと百樹へ嫁してからの生活で、お部屋の飾り方とかお道具の調えようとか、また義妹たちの衣装や髪飾りのせわをするのに、ずいぶん戸惑いをすることがありました、そしてこれはわたくしたちがむすめ時代の若さというものを味わずにしまったからだと思い当ることが多かったのですから」
「ああそれであなたは今その若さをとり返していらっしゃるのね」
津留はからかいぎみに笑いながら云った。
「お暮しぶりがたいそうお派手だとご評判でございますわ」
「そんな、ひとのことを云ってよろしいの、秋沢さまのご家族こそ派手な評判ではひけをとらない筈なのに、わたくしみんな知っていてよ」
弥生は茶のしたくをしながら妹たちの饒舌じょうぜつを聞いていた。はじめは微笑していたが、しだいにその微笑が硬ばり、唇のゆがんでくるのが自分でもよくわかった。そしてそれ以上は黙って聞いているのに耐えられなくなり、二人の間へさりげなく言葉を※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)しはさんだ、
「いったいご用というのはなに、二人とも肝心な話をさきにおっしゃいな」
「ああそのことね」
小松は持っていた風鈴をそばにある用箪笥の上に載せ、姉のそばへ来て坐りながら云った、
「それはねえお姉さま、お城でもう五日すると重陽ちょうようの御祝儀がございましょう、それが済んだらわたくしたち三人で、栃尾とちのお湯泉いでゆへ保養にゆきたいと思いますの、そのおさそいにあがったのですけれど」
「栃尾へ保養に、わたくしが」
「これまでのご恩がえしに、小姉ちいねえさまとわたくしとでご招待よ」
津留はずかずかと云った、
「なんにもご心配なさらないで、お姉さまはおからだだけいらしって下さればいいの、ねえ、たまにはご謀反もあそばせよ」
「だめですよ、なにをのんきなことを仰しゃるの、あなたたちは」
弥生はできるだけ調子をやわらげながら答えた、
「考えてごらんなさいな、わたくしが家をあけてあとをどうするの、旦那だんなさまにお炊事をして頂けとでもいうんですか」
「それはわたくしの家から下婢をお貸ししますわ、気はしの利くよく働く下婢がいますの、それを留守のあいだこちらへよこしますから、ねえお姉さまそれならよろしいでしょう」
津留はそう云ってあまえるようにすり寄った。

弥生は妹たちに茶をすすめておいて、いちど片づけた縫物をひざの上にとりあげた。そのようすでどうしてもだめだと察した津留は、すっかり落胆して「もう時刻だから」とそこそこに帰っていった。小松はもう少し邪魔をするといって残った、その口ぶりでまだなにか話そうとしているなと思い、弥生は押えられるように心が重くなった。小松は暫く姉の手もとを見まもっていたが、ふと詠嘆えいたんするような調子でこう云いだした。
「そうやってお姉さまがこれまで縫っていらしった針の跡をつないでみたら、いったいどれほどの長さになることかしら、火桶に火も絶えて木枯こがらしの吹き荒れる夜半や、じっとしていても汗のにじむような夏のひるさがりにも、お姉さまはそうやってわたくしや津留さんの物を縫って下すったのね、そして今ではお義兄にいさまや与一郎さんの物をそうして縫っていらっしゃる、そればかりではないわ、お洗濯やお炊事にどれだけの水をお遣いになったでしょう、釜戸かまどや火桶で、どれだけの薪や炭をおきになったかしら、そしてこれからもどれほどの水を流し、どれほどの薪や炭をお焚きになることでしょう、……そうしてお姉さまはやがて小さなおばあさまになっておしまいなさるのね」
小松はそう云いながら非難するようにかぶりを振った。
「お姉さまこんなにして一生を終っていいのでしょうか、いつまでもはてしのない縫い張りやお炊事や、煩わしい家事に追われとおして、これで生き甲斐がいがあるのでしょうか」
弥生は縫う手を休めてびっくりしたように妹の顔を見た。妹の頬には血がのぼっていた、三人のなかでいちばん縹緻きりょうよしといわれた少し険のある顔だちが、感情のたかぶっているために美しくえ、双の眼にはなにやらあふれるような光が湛えられていた、
「生活をお変えにならなければ」
小松は湿ったような声で続けた、
「下男や下婢にできることは、下男や下婢におさせなさるがよろしいわ、そしてお姉さまご自身もっと生き甲斐のある生活をなさらなくては、もっとよろこびのある充実した生きようをなさらなくてはね、そうお思いになりませんか」
「あなたはこの加内かだいの家で下男や下婢が使えると思いますか」
「それはお義兄さまのお考え一つですわ」
小松は遠慮をすてた口ぶりで云った、
「まえから百樹がご推挙している奉行役所へお替りになれば、そしてお義兄さまほどご精勤なさるなら、家士の二人や三人お置きなさるくらいのご出頭はそうむつかしいことではないと思います、百樹もそれはまちがいないと申しておりますし、秋沢さまでもうしろだてになろうと仰しゃっておいでですわ、お姉さま、みちはすぐ前にひらけていますのよ、手を伸ばしておつかみになればいいのですわ」
「それはそうかもしれないけれど」
弥生はためらいぎみな、云いわけをするような調子でこう云った、
「加内はいまのお役がしょうに合っているからとお断わり申したのでしょう、それにおんなの口からお役目のことなど云えはしませんからね」
「そういうお姉さまのお考えも、いまのお役が性に合っているというお義兄さまのお考えも、沈んだように動きのないこの家の生活からくるのではないでしょうか」
小松は片手で部屋の中をぐるっとでるようなしぐさをした、
「こういうお暮しぶりからまずお変えになるのよ、お姉さま、時どきはお部屋のもようを変えてごらんなさいまし、お花を活けるとか、お道具の位置を移すとか、ふすまを張り替えるとか、お姉さまもたまにはお召物を違えたりお化粧をなすったりしなければ、……そうすれば家のなかも活き活きとなるし、しぜん気持も動いてきますわ、お姉さまのお考えも、お義兄さまも、ええ、きっともう少しは出世のお欲が出てくると思います」
こういう言葉をはずかしめでないと否定するためには、姉いもうとの近しさとか、親しいいたわりという感情につかまらなくてはならなかった。……小松が帰っていったあと、縫物を膝の上に置いたまま、弥生はやや久しいあいだ惘然もうぜんときをすごした。明けてある障子の向うに狭い庭がみえる、午後のもう傾きかけた日ざしのなかに、すすきの穂が銀色に浮きでている、はぎたおやかな枝もさかりの花で、そのあたりいちめん雪を散らしたようだ。庭とは名ばかりの狭い、なんの結構もないものだが、芒が穂立ち萩の咲くこの季節だけは美しくなる。秋のふぜいがあふれるようで、いつまで眺めても飽きることがない、妹たちもこの家にいるじぶんは嵯峨野さがのうつしなどといって自慢の一つにしていた。さっき二人がはいって来たとき障子をあけたのは、彼女たちがまえのようによろこびの声をあげてれると思ったからだ、然し二人とも見向きもしなかった、たとえ見たにしてもあの頃のようなよろこびは感じなかったに違いない、のどかな秋の日ざしのなかの、芒や萩の伏枝をみてわびしいおもいをたのしむような気持は、もう妹たちにはなくなっているのだ。弥生はそう思いながらやるせないほど孤独な寂しさにおそわれるのだった。
「どうしたのだ」とつぜんうしろでそういうこえがした、「ぐあいでも悪いのか」ああと弥生は身ぶるいをしながらふり返った、良人の三右衛門がそこに立っていた。
「お帰りあそばせ」
弥生はうろたえてあかくなった、
「つい考えごとをしておりまして」
しどろもどろに云いながら、居間のほうへゆく良人のあとを追った。

明くる日、部屋の掃除をしているとき、用箪笥の上に風鈴のあるのをみつけた。妹たちが廂からはずしてそこへ置き忘れたのである。弥生は手にとって暫く見ていたが、やがてそれを箪笥の小抽出こひきだしの中へしまい、気ぬけのした人のようにそこへ坐って、ひとりしんと考えこんでしまった。そのときから弥生はものおもう日が多くなり。過ぎ去った二十九年というとしつきを幾たびも思いかえした。
父が世を去ったとき弥生は十五、小松は十一、津留は九歳だった。それより数年まえに母も亡くなっていたので、なにもかもいっぺんに弥生の肩へかかってきた。家政のことや二人の妹のせわは云うまでもない、武家のならいで跡継ぎがなければ家名が絶えるから、同じ家中で松田弥兵衛やへえという者の二男を養子にきめた。もちろんさかずきだけで祝言をあげたのは三年ののちのことだったが、こういう身の上の変化をうけとめるには、弥生の年はまだ余りに若すぎた、母方の伯父がうしろみになって呉れたけれど、弥生はできる限りひとりでやってゆく覚悟をし「自分は今からおとなになるのだ」そう自分に誓って、ともかく加内の家を背負って立ったのだった。生活は苦しかった……扶持は十石あまりだったが、まだ相続者が役に就いていないので、実際にさがるものは約その半分にすぎない、元もと切詰めた経済でようやくしのいできた状態だったから、衣類や調度はむろん日用のものもすべて不足がちだった。一片の塩魚を買うにも、いや味噌や醤油を買うにさえ、銭嚢かねぶくろの中をなんども数え直さなければならないような生活、それを弥生は十五歳の知恵できりまわしていったのである。……良人を迎えてからも、暮しは依然として楽にならなかった。三右衛門はあまり口をきかない温厚な人で、加内へ婿にはいる少しまえから勘定所へ勤めていた、それで扶持も十五石余りに加俸されたが、役目が上納係といって農民と直接に交渉をもつ部署であり、所管の郷村を視まわることが多いので、しぜんこまごました出費がかさむため家計はむしろ苦しくなったくらいである。こうした日常のなかで、なにより心を痛めたのは妹たちのことだった。ふた親のない貧しい生活で卑屈になったり陰気な性質になったりしないように、できるだけ明るくのびのびと育てたい、世間へ出てわらわれないほどには読み書きや作法も身につけてやりたい、若い弥生にとってはその一つ一つが困難な、どっちかというと無理なことであった、然しそれを困難だとか無理だなどと考えることはゆるされなかった、どんなに辛くともそれを克服してゆかなくてはならなかったのである。
小松は十八歳のとき、望まれて百樹家へ嫁した、百樹は二百五十石の寄合組であるが、良人の靱負ゆきえはすでに用人格で、俊才という評判の高い人物だった。縹緻でのぞまれたのと、身分の違うのが不安だったけれども、頭のさとい小松はよく婚家の風に馴れ、案外なくらい良縁としておさまった。それから三年たって津留も結婚した。これは百樹の媒酌で、相手は秋沢継之助つぐのすけといい、扈従こしょう組の上席で三百石のいえがらだった。……こうして二人の妹を恵まれた結婚生活に送り出したとき、弥生は自分の努力のむだでなかったことを知り、それだけでも充分に酬われたように思った。無経験な若い自分の思案と、乏しい家計で、ともかくもここまでこぎつけることができた、亡き父や母もたぶん満足して下さるだろう、そして妹たちも、いつかは姉の苦労がどのようなものだったかということを知って、感謝して呉れるときがあるに違いない、そう信じてきたのであった。
妹たちは少しずつ性質が変っていった。環境が違ったのだからふしぎはないのだろうが、加内の家へ来るたびに、この家の貧しさをいとうようすが強くなり、ときにはこのような貧しい実家を持つことを恥じるような口ぶりさえみせるようになった。弥生はそれを怒ってはならないと思った、妹たちがそういう考え方をするのは現在の生活が豊かに恵まれている証拠である、この家の明けれをなつかしがるようではそれこそ不仕合せなのだ、そう思って穏やかに聞きながしていた。けれど妹たちにはそういう姉の態度がかえってもの足りないようだった、義兄の三右衛門がいつまでも勘定所づとめなどをしていては、婚家との親類づきあいに肩身がせまい、もっと覇気はきをだすようにすすめたらどうか、そんなことも云いだした。そしてついさきごろには、小松の良人の百樹靱負から、奉行所へ推挙するから役替えをする気はないかという相談があった。つづいて津留の婚家からもおなじような話をもって来たが、三右衛門は、
「現在のお役には馴れてもいるし自分の性にも合うから」
といって両方とも断わってしまった。
これらのことを思いかえすたびに、弥生は自分のこしかたが徒労であり、これからさきも徒労であるような気がしはじめた。津留といっしょに来た日、小松は「自分たちには娘時代というものがなかった」という意味のことを口にした、弥生にとってこれほど痛いかなしい言葉はない、妹たちもいつかは自分の苦労を知って感謝して呉れるときがあるだろう、そう信じていたのに、まったく反対な非難をあびせられたに等しい、弥生は怒りを抑えるために身がふるえた。それでは自分のしてきたことは無意味だったのか、あれだけの努力は妹たちにとってなんの価値でもなかったのか、
「そしてお姉さまは年をとって、やがて小さなおばあさまになってしまうのね」
小松はそう云った。ああ、と弥生はいまうめくように溜息ためいきをつく、こうして苦しい日を送り、苦しい日を迎えて自分の一生が経ってしまう、ほんとうにこれでいいのだろうか、これで生き甲斐があるのだろうか、そう思っては暗い絶望的な気持におそわれるのだった。

芒の穂はかなしくほおけ、萩の花は散りつくした。朝な夕なはひどくてて、水仕事をしたあと、手指の赤くれる季節となった。弥生はその頃から家の中の道具をあれこれと少しずつ動かしてみた、箪笥を脇のほうへ移したり、鏡台と机とを置き替えたり、常には使わない対立屏風ついたてびょうぶを出してみたり、ちょっと馳走のあるときは客膳きゃくぜんを用いたりした、そうするとたしかに家の中があたらしくみえ気持も動くように思える、「まるでよその家へいったようですね」九歳になる与一郎はそんなことを云って、珍らしそうに部屋の中を見てまわったりした。それから弥生はしばしば着物や帯をとり替えて着た、ずいぶん思いきって、ごく薄く化粧もしはじめた。そういうことに遠ざかって久しかったから皮膚もなずまないし、なかなか手順がうまくいかなかった、幾たびやりなおしても気にいらず、しまいには拭き取ってしまうことも多かったが、白粉おしろい臙脂べにや香油などのにおやかな香に包まれていると、なにやら若やいだ浮き浮きするような気持になり、思わず刻の経つのを忘れることもあった。
三右衛門はかくべつなにも云わなかった。弥生がきょうは美しく化粧ができたと思ったとき、いちどだけ微笑しながらつくづくと見て呉れた、
「いいな、化粧というものは男が衣服はかまを正すのと同じで、気持をしゃんとさせるものだそうだ、これからもそのくらいの化粧はするほうがいいだろう」
そのとき弥生は恥ずかしいほど満たされた気持で、良人の前を立って来ると暫く鏡をのぞいていた。……然しこれらのことはながくは続かなかった、道具のありどころもたびたび変えるわけにはいかないし、変えてみてもいつもそう新らしい気持にはなれない。つましい経済では白粉や臙脂はかなり贅沢につくし、時間の惜しいときのほうが多いのでしぜん手軽に済ませておくようになる。こうして箪笥も鏡台も机も、いつかしら元の場所におさめられるのを見て、三右衛門はなにやらほっとした口ぶりでこう云った、
「部屋のもよう替えも気分が変っていいが、やっぱり道具にはそれぞれ据えどころがあるものだな、私にはこのほうがおちついてよい、眼さきの変るのはその時だけのことだし、なんとなくざわざわしくていけない」
「少しは住みごこちもおよろしかろうと思ったものですから」
「家常茶飯は平凡なほどよいものだ、余りそんなことに頭を疲らせないがいい」
試みたことは詰まるところなにものももたらしては呉れなかった。冷える朝のくりやで水を使いながら、またひょうひょうと風の渡る夜半、凍える指さきを暖め暖め縫い物をしながら、弥生は再び生き甲斐ということを思いはじめた。――これが自分の生活なのだろうか、こうして自分の生涯は経っていってしまうのだ、同じ着物を縫ったり解いたりしながら、ものみ遊山もせず、美味に飽くことなく、ひたすら良人に仕え子を育て、その月その年の乏しい家計をいかに繰りまわすかということで身も心も疲らせて、やがてむなしく老いしぼんでしまう、「これでいいのだろうか」弥生はぞっとするような気持でそうつぶやく、「こういうしはてのない困難の克服になにか意味があるだろうか、もっとほんとうに生き甲斐のある生活がほかにあるのではないかしらん」そして惑わしのように、いつか小松の云った言葉があたまにうかんでくるのだった。――これまでに縫いつくろいをして来た針の跡をつないだらどれほどの長さになるだろう、恐らくそれは想像を絶する長さに違いない。然もそこからはなにものも遺らなかった。炊事や洗濯に使い捨てた水、釜戸や火桶で焚いた薪や炭、それらの量もたぶん驚くべきかさに違いない。そしてこれまたそこからはなに一つとして遺るものはないのだ。然もそういう苦労を凌いで育てた妹たちから非難のこえを聞くとすれば、いったいなんのための苦労かと疑いたくなるのは無理もあるまい。弥生は初めて、ほんとうにつきつめて考えぬかなければならぬことにゆき当ったと思った、あらゆる人間がその問題について考えるとき必ずそう思うように……。
「このごろなんだか沈んでいるようではないか」
良人が或る夜そう問いかけた、
「からだのぐあいでも悪いのではないか」
「はあ……」
さようなことはございません、そう云おうとしたが、にわかに感情がたかぶって口がきけず、そのまま黙って眼を伏せた、
「どこか具合が悪いのか」
三右衛門はいぶかしげにこちらを見た、
「もしそうなら無理をしてはいけない、医者にみせるとか薬をのむとかしなければ」
「べつにからだが悪いわけではございませんけれど、なんですか気分が重うございまして……」
「わけもなしに気分の重いということもなかろう、いちど医者にみて貰ったらどうだ」
「はい」
弥生はふと顔をあげた、いっそ良人にすべてをはなしてみようか、良人には良人の意見があるだろうし、それを聞けば或いはこの悩みも解けるかもしれない、はなすならこの機会だ、そう思って口まで出かかったが、やっぱり言葉にはだせなかった、良人は男である、こういう女の苦しみは、話してもわかって呉れないであろう、かなしくそうあきらめてさりげなく、その場をとりつくろって済ませてしまった。

霜月にはいると北ぐにの野山はもう雪におおわれる、昼のうち日が照って、昨日の雪が消えたと思うと、明くる朝はまたちらちらと粉雪になり、れがたには五寸も積もる、そういうことを繰返すうちに、やがて三四日も降り続いて寝雪となる日が来るのだ。……その年は珍らしく寝雪が遅く、月のなかばを過ぎてもまだ土の見えるところが多かった。まるで季節が返りでもしたような、或る晴れた暖かい日の午後、小松が下婢に包物を持たせて久方ぶりに訪ねて来た。
「あのときやめた栃尾へようやくいってまいりました」
小松は健康に満ちあふれるような顔に、いたずらめいた笑いをみせながらそう云った、
「やっぱり津留さんと誘い合わせましてね、もう雪でしたけれど、却って客が少なくてようございました、山鳥を飽きるほどたべましてね」
そしてのびのびと解放された四日間の楽しかったこと、美しい谷川に臨んだ宿の眺め、気ままに浸る温泉のこころよい余温に包まれる寝ごこちなど、絵に描いてみせるように巧みに話しつづけた。
「でも津留さんにはびっくりさせられました、夕餉ゆうげには四たびともお酒をあがるのですものね、いつも秋沢さまのお相手をするので癖になったのですって」
「あなたもあがったんですか」
「ほんのお相伴くらいでしたけれど」
小松はもういちどいたずらめいた笑い方をした、
「でもなんだかひめごとのようで楽しいものですのね、お姉さまもこのつぎにはぜひいらっしゃらなければ」
「わるい方たちね……」
そう云いながら、もし自分にもそんなことができたらどんなに楽しかろう、疲れた心やからだがどんなに休まるだろうと思い、それが不可能だとわかりきっているだけに、弥生の気持は耐えられぬほどの寂しさにおちこむのだった。
「きょうは時刻を限られていますから」
小松は間もなく坐り直し、下婢に持たせて来た包みをひき寄せた、
やまどりを持ってまいりましたの、お小遣いが少のうございましたからほんのかたちだけのお土産よ」
そう云って包みを解きにかかった。
そのとき門ぐちに人のおとずれる声がした。出ていってみると、勘定奉行の岡田庄兵衛しょうべえという老人だった。
「おいでか」
といつもの柔和の調子で訊いた。良人は非番で家にいる日だったが、昼食をするとすぐ川のほうを歩いて来ると云って、与一郎をつれて出かけたあとだった。
「それでは間もなく帰るな」
老人はちょっと考えるようすだったが、
「やっぱり待たせて貰おうか」
そう云って気がるに奥へとおった。……部屋へ戻ると小松は帰りじたくをしていた、
「お客さまはどなた」
「お役所の岡田さまよ」
そう答えながら弥生は茶の用意をした。小松は岡田と聞いてああという表情をした、
「やっぱり、いらしったわね」
「やっぱりって、あなたなにか知っておいでなの」
「あのはなしですわ、きっと」
小松はそっと声をひそめた、
「いつかのお役替えのこと、お義兄さまはお腰が重いから、せんじつ百樹がじかに岡田さまに会ってご相談したのですって、きっとそれでいらしったに違いありませんわ、ねえお姉さまこんどこそお義兄さまにひとふんぱつして頂くのね、そして加内の運のひらけるようにしなければね……」
小松を送りだしたあと茶を運んでゆくと、岡田老人は火桶へ手をかざしながら一冊の写本をひらいて見ていた。そこの机の上から取ったのだろう「妙法寺記みょうほうじき」という題簽だいせんで、半年ほどまえに良人が御菩提寺ごぼだいじから借りて来て筆写しているものだった。良人の写した方の題簽には「しょう」という字が付いている、たぶん原本からなにか鈔録しょうろくしているのであろう、写し終えて綴じたものがもう六冊あまりもある筈だ。老人はなにか感に堪えぬようすで、しきりに頁を繰ってはぶつぶつ独り言を呟いていた。……ほどなく三右衛門が与一郎をつれて帰って来た。弥生が茶をれかえにゆくと、二人はその写本のことを話していた。
「さようです」良人はそこへ筆写した書冊をとりだしながら説明した。「はじめ御書庫の中で分類本朝年代記というものを拝見しまして、飢饉ききんの条のあまりに多いことから思いつき、それに類する書物をさがしまして、くわしい年表を作ってみようと始めたものでございます、なにしろふと思いつきましたことで準備もなにもなし、また私ひとりのちからではそうてびろく参考書を集めることもできませんので、まず下調べ程度のものが作れたらと考えております」
「然しそこもとの多忙なからだでどうしてこんなむつかしいことを始める気になったのだ」
「それはこの表に一例を書いてみましたが」
三右衛門はそう云って別の書冊をひらいた、
「このように年次表に書きあげますと、飢饉の来る年におよそ週期があるのです、この表はもちろん不完全きわまるものですが、凶作があって一年めに飢饉の続くことがもっとも多く、つぎには五年ないし六年めにくる例がひじょうに多い、この年次表がもっと完成して週期の波がはっきりわかるとすれば、藩の農政のうえにかなり役だつだろうと思うのですが」
「たしかに」
岡田庄兵衛は大きくうなずいた、
「そうすれば、冷旱れいかん風水による原因もわかって耕作法のくふうもあろうし、また荒凶に対する予備もできるだろう、だがそれは独力では無理だ、ぜひ勘定役所の仕事にしなければ……」
それから老人は、役所の者がみなこういう点にまで注意するようになって欲しいこと、それが政治を執る者の良心であるということなどを熱心に述べるのだった。

その話が済むと碁になった、岡田老人と三右衛門はよい碁がたきで、しばしば招かれてゆくし老人のほうからも時どき打ちに来る。かくべつ珍らしいことではないのだが、その日は小松にささやかれたことがあるので、弥生はなんとなくおちつかず、ともすると二人の話しごえに耳をきつけられた。……碁は日昏れに及んだ、夕餉ゆうげには小松がみやげに持って来た山鳥を割いて出した。それからまた碁が始まり、与一郎を寝かせてから、寒さ凌ぎに葛湯くずゆを作っていったときも、二人はさも楽しそうに石の音をさせていた。――小松は思いすごしたのだ、お役替えというような話なら、こんなにながく碁など打っていらっしゃる筈はない。そう思うと弥生はなにやら裏切られたような寂しい気持になり、行燈をひき寄せながらひっそりと縫い物をつづけた。
どのくらい経ってからであろう、石の音がやんでしずかな話しごえが続くのに気づき、ふとそちらへ注意すると「奉行所」という老人の言葉が聞えた。弥生は思わず針をき、少し膝をにじらせながら耳をすました。
「たとえ百樹どの秋沢どのがうしろ楯にならずとも、奉行所でそこもとほどの才腕を活かせば、少なくとも現在のような恵まれないことはない」
老人は平らにくだけた調子でそう云った、
「自分の預かっている役所に就いてこんなことを申す法はないだろうが、勘定所つとめではさきも知れているし、殊にそこもとの仕事は気ぼねばかり折れて酬われることの少ないまったく縁の下のちからもちだ、わしも役替えをするほうがよいと思うがな」
「それも考えてはみたのですが、やっぱり私には今の役目が身に合っていると思いますので……」
「だがそれでほんとうに満足していられるかな、機会はまたというわけにはゆかぬものだ、あとで悔やむようなことはないかな」
そこでぷつりと話しごえがとだえた。森閑とえた宵のしじまを縫って、廂を打つ雨の音がひっそりと聞える、ああ降りだした、弥生がそう思ったとき、三右衛門のしずかに口を切るのが聞えてきた。
「役所の事務というものは、どこに限らずたやすく練達できるものではございません、勘定所の、ことに御上納係は、その年どしの年貢割りをきめる重要な役目で、常づね農民と親しく接し、その郷、その村のじっさいの事情をよく知っていなければならぬ、これには年数と経験が絶対に必要です、単に豊凶をみわけるだけでも私は八年かかりました、そして現在では、私を措いてほかにこの役目を任すことのできる者はおりません、……それとも誰か私に代るべき人物がございましょうか」
「正直に申して代るべき者はない」
「……こんどの話がどうして始まったか、推挙して呉れる人の気持がどこにあるか、私にはよくわかっています」
三右衛門はこう続けた、
「その人たちには私が栄えない役を勤め、いつまでも貧寒でいることが気のどくにみえるのです、なるほど人間は豊かに住み、暖かく着、美味をたべて暮すほうがよい、たしかにそのほうが貧窮であるより望ましいことです、なぜ望ましいかというと、貧しい生活をしている者は、とかく富貴でさえあれば生きる甲斐があるように思いやすい、……美味うまいものを食い、ものみ遊山をし、身ぎれい気ままに暮すことが、粗衣粗食で休むひまなく働くより意義があるように考えやすい、だから貧しいよりは富んだほうが望ましいことはたしかです、然しそれでは思うように出世をし、富貴と安穏が得られたら、それでなにか意義があり満足することができるでしょうか」
弥生は身ぶるいをした。こめかみのあたりが白くなり、緊張のあまり顔つきが硬ばった。廂を打つ雨の音はやみもせず高くもならなかったが、気温はぐんぐん冷えて、膝や手足の指は凍えるように思えた。
「……おそらくそれだけで意義や満足を感ずることはできないでしょう、人間の欲望には限度がありません、富貴と安穏が得られれば更に次のものが欲しくなるからです」
良人のこえは低いうちにも力がこもってきた、
「たいせつなのは身分の高下や貧富の差ではない、人間と生れてきて、生きたことが、自分にとってむだでなかった、世の中のためにも少しは役だち、意義があった、そう自覚して死ぬことができるかどうかが問題だと思います、人間はいつかは必ず死にます、いかなる権勢も富も、人間を死から救うことはできません、私にしても明日にも死ぬかもしれないのです、そのとき奉行所へ替ったことに満足するでしょうか、百石、二百石に出世し、暖衣飽食したことに満足して死ねるでしょうか、否、私は勘定所に留まります、そして死ぬときには、少なくとも惜しまれる人間になるだけの仕事をしてゆきたいと思います」
膝を固くし頭を垂れていた弥生は、みえるほどからだが震えるのを抑えることができなかった。感動というよりは慚愧ざんきに似たするどい思考が胸につきあげ、それが彼女を二つにひき裂くかと思えた。――生き甲斐とはなんぞや、ながいこと頭を占めていたその悩みが、いま三右衛門の言葉に依ってひとすじの光を与えられた。それはまぎれもなく暗夜の光ともたとえたいものだった。――貧しい生活をしていると富貴でさえあれば生き甲斐があると思いやすい、良人は今そう云った。自分が思い惑ったのも、つきつめれば妹たちの暮しぶりをみ、その非難を聞いて、自分の生活よりは意義があり充実しているように考えたからだ。なんというあさはかな無反省なことだったろう、縫い張りや炊事や、良人に仕え子を育てる煩瑣はんさな家事をするかしないかが問題ではない、肝心なのはその事の一つ一つが役だつものであったかどうかだ、女と生れ妻となるからは、その家にとり良人や子たちにとって、かけがえの無いほど大切な者、病気をしたり死ぬことをおそれられ、このうえもなく嘆かれ悲しまれる者、それ以上の生き甲斐はないであろう、然し。それでは自分はこの家にとってはたしてかけがえのない者であるかどうか、どうしても無くてはならぬ者だろうか。……弥生には然りと思うだけの自信も勇気もなかった。
「そうだ」彼女はしずかに面をあげた、「少なくとも良人や子供にとってかけがえのない者にならなくては」そう呟くと、なにかしら身内にちからがいてくるようだった。弥生は立ちあがり箪笥の小抽出の中から青銅の風鈴をとりだした。秋のころ妹たちが外していったのを、どうしても吊りなおす気になれなかったものである、――あのときから気持がゆらぎだしたのだ。そしてこの数十日ずいぶん思い惑ったことはむだではなかった、こうして今こそ生きるみちをたしかめたのだから。……そう思いながら弥生は小窓をあけた、外はいつのまにか粉雪になっていた。「まあ、とうとう」燈火をうけて霏々ひひと舞いくるう雪の美しさに、弥生は思わず声をあげながら、手を伸ばして風鈴を吊った。あるかなきかの風に、久しく聞かなかった滴丁東ていちんとんの澄んだ音がひびきだすと、その音を縫って三右衛門のこう呼ぶこえが聞えた。
「弥生お帰りだぞ」